日本発祥の意外なアレ
2019年 02月28日
日本のものづくりについて調べていると、
え?こんなものも日本発祥だったの?と驚いてしまうことがあります。
今日はそんな日本発祥のとあるアイテムをご紹介しようと思います。
そう、ビニール傘。
恐らく日本に住んでいたらお世話になったことがない人を探す方が
難しいであろうアイテムの、ビニール傘。
今やコンビニだけに限らず、書店や家電量販店などにも普通に売られており、
不意の雨降りの際に助けられた経験はみなさん一度や二度ではないでしょう。
江戸時代創業の老舗傘メーカー「ホワイトローズ株式会社」。
こちらの会社がビニール傘の生みの親。
昭和24年、洋傘を作っていた武田長五郎商店の当時の社長、須藤三男さんは
太平洋戦争から無事帰国しましたが、物が不足していた時代で傘を作る材料を集めることができず、
他の傘メーカーからは完全に出遅れた形になってしまったのだそう。
そこで考え出したのがビニール製の「傘カバー」でした。
昭和20年代当時、傘といえば高給な絹(シルク)、日傘用の麻と並んで、
一般的には綿素材で作られていた時代。
綿の傘が雨に濡れると色落ちしてしまうという欠点に注目し、
進駐軍のテーブルクロスをヒントにして傘のカバーを作ってしまったのだそう。
そしてこれが大ヒット。カバーがないと傘が売れない、というまでの状態に。
しかしその後、ナイロン製の洋傘が登場し、傘カバーは不要となってしまいました。
そこで社長はビニール素材の傘を作ろうと考え、再び試行錯誤の日々。
開発には3年がかかりましたが、発売当時はビニール素材が受け入れられず、
小売店や百貨店から傘売り場に置いてもらえないという苦戦を強いられることに。
しかし転機が訪れます。
それは、昭和34年に開催された東京オリンピック。
その際に来日していたアメリカのバイヤーの目に留まり、
傘は海を渡って、ニューヨークで大ヒット。
そう、ビニール傘は逆輸入商品だったのです。
その後、国内向けにビニール傘を作り始めた頃、日本でニューファッションが生まれ、
ビニール素材には様々な色や柄が印刷できるということで最先端のファッションアイテムに。
一度は百貨店などから拒否されたビニール傘が最先端のファッションアイテムになるだなんて、
とっても夢のある話ですよね…!
その後、中国のメーカーが次々に安価のビニール傘を量産したことで、
日本国内のメーカーは激減してしまいましたが、ホワイトローズは粘り強く作り続け、
選挙の街頭演説用のビニール傘を作り、選挙ごとに口コミで注文が増え、
ついには歴代総理の手にも渡り、皇后美智子様が園遊会でお使いになられるほどに。
普段何気なく使っているビニール傘にそんな歴史があったなんて…!
今でもホワイトローズさんはビニール傘の生産を続けており、
ホームページを覗いてみたところ、なんとどこも成し得なかった
折りたたみ製のビニール傘を生み出すことに成功したとのことで、
購入受付を開始していました…!
YouTubeを駆使して商品をアピールするあたり、まだまだ新しいことに挑戦する姿勢は
変わっていないのだな、とこちらも背筋が伸びるような気持ちになりました。
サイトには「ホワイトローズ物語」というページがあり、
ブランドのこれまでの歩みがまとめられていました。
ぜひこちらもご覧になってみてくださいね。
(via ホワイトローズ)