横浜市民も意外と知らない?関内・関外の地名の由来

2020年 05月29日

皆さんは横浜の「関内」「関外」という場所をご存知ですか?
JR根岸線 桜木町駅の隣に位置する「関内」駅は有名ですが、「関外」が存在することをご存知の方は神奈川県民でも意外と少ないのではないでしょうか。

今回のコラムでは「関内」と「関外」の名前の由来を、その歴史と絡めてご紹介したいと思います。

関内・関外の歴史

1853年、ペリー来航と共に横浜港が開港され、日本に渡ってきた多くの外国人が生活をする場所となった横浜。
この出来事により横浜は活気で満たされましたが、外国人と日本人の接触する機会が増え、トラブルが発生することも多くなっていました。

そこで、「関門」という名の関所を設けて、武士や町人などの日本人が出入りすることを取り締まり治安を守ったのです。
そう、関内・関外の「関」とは「関所」の「関」なのです。

関門が設けられたのは伊勢佐木町と馬車道の間にある橋です。
当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから仮橋である木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から渡されたことにより「吉田橋」と呼ばれました。
1869年に架け替えられた吉田橋は、日本初のトラス鉄橋で、「鉄の橋」と呼ばれ親しまれ、文明開化のシンボルになりました。


現在はイセザキモール関内駅側の関門跡の場所に石碑が建てられています。
この吉田橋を境にして関門の海側(馬車道側)を関内伊勢佐木町がある陸側を関外と呼ぶようになりました。


また、現在吉田橋の下には首都高速道路神奈川1号が通っていますが、ここにはかつて運河が通っており、その運河によって関内・関外の地域が明確に分けられていました。
今でもJR根岸線関内駅の地下には、当時の運河の石積みが残っているようです。

日頃何気なく「関内」と呼んでいた地域。
関門は明治4年に廃止されましたが、関内・関外という地域の名前が今でも残り続けているのは感慨深いですね。(意図せずダジャレになってしまいました)
当時から150年近く経ち、街は大きく様変わりしていますが、街を歩くとその歴史が垣間見えるスポットが点在しているそう。
近くを通った際はそういったスポットを巡ってみるのも面白いかもしれません。

吉田橋関門跡へのアクセス

・JR根岸線 関内駅より徒歩5分
・横浜市営地下鉄ブルーライン(1号線) 伊勢佐木長者町駅より徒歩9分
・横浜高速鉄道みなとみらい線 馬車道駅より徒歩10分

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