「横浜」と聞くとみなさんは何を思い浮かべますか?
近郊に住んでいる人以外は大抵…
「横浜と言ったら、中華街!」
こう答えるのではないでしょうか。
実は横浜中華街は神奈川トスバックから歩いて10分足らず。
一歩入り込むだけで、まるで本当に中国に行ったような気分が味わえ、
かつ日本語で買い物、食事ができる!という手軽さを一度味わうと、
観光スポットとしてとても人気が高い理由がよくわかります。
近年は海外からの旅行者にとっても人気スポットとなっていますね。
では何故、横浜に中華街があるのでしょうか。
あまりにも自然にそこにあるため、あまり疑問に思わない方も多いかもしれません。
そこで、今日は横浜中華街の成り立ちを調べてみました。
始まりは、今から遡る事160年ほど前。
安政5年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれ、
翌年の安政6年に、横浜港が開港しました。
開港した横浜には、やってくる欧米人のために「外国人居留地」が設けられました。
横浜の山手や山下町には、このころの欧米人たちの住居や商館が並んだ面影が残っていますよね。
さて、港を開いたところまではよかったのですが、
黒船来航から急展開での開国だったため、いきなり欧米人たちがやってきて住み始める、
という状況に日本側はとても戸惑い、対応に困っていたそうです。
ここで活躍することになったのが、欧米人たちと一緒に日本にやってきた中国人でした。
中国人は日本よりも早く西洋文化に接していた事、
さらに日本とは同じ漢字文化圏ということで
筆談での通訳ができた事、また何よりも当時の日本人が不慣れだった
為替や貿易の仕組みを理解していました。
その後、居留地の一角に中華会館や中華学校などが建てられ、
20世紀に入ると日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの商店も並び始めました。
しかし、その頃はまだ中華料理ばかり、という程ではなく、
様々な文化のお店が乱立していたそうです。
その後1923年に「関東大震災」が発生、
中華街のある地区は瓦礫の山となってしまいました。
その際に多くの欧米人は帰国してしまったため、
復興する際には中国人を中心とした街に変わっていたそうです。
かつての欧米人たちの居留地に隣接する形で中華街があるわけ、
そして欧米国の街がないわけ、どちらもこうした事情があったのですね。
いかがでしたか?
歴史を踏まえた上で歩いてみると、
横浜という土地の面白さが更に増すのではないでしょうか。
横浜にお越しになる際には、少しのんびりと街を歩き、
その歴史を感じてみてはいかがでしょうか。